QDI 2015年3月
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小宮山 彌太郎小宮山 彌太郎この言葉から、彼の心情を読み取ることができる。 数多くの実験結果から学んだ、「患者に迷惑をかけない」「ネガティブになると考えられる因子は徹底的に排除する」との考え方が治療の根幹を成してきた。教授が亡くなってからの治療に際して、疑問点が湧く、あるいは行き詰まった時には、「Brånemark教授であれば、この場面をどうするのだろうか?」との思考を以前よりも強く持つようになった。Brånemark教授の教え 3年程前、匿名のハガキが私の手元に届いた。その中に『ブローネマルクを食い物に・・・』と記されていた。確かに、教授から教えていただいた内容に自分の臨床経験を加えながら、わかった顔をして同業者に講義をしている訳であるから、これはあながち間違いとは言えない。いくら師匠とは言え、Brånemark教授が医療従事者としてのモラルのかけらも持たない人であれば、これほど傾倒することはなかったと思われる。 医師で基礎の研究者でもあったBrånemark教授は、感情を備えた生体組織を対象とする治療に、安易な気持ちで臨んではならないという姿勢を徹底的に教えて下さった。目先の治療結果のみを追求する人々には理解していただけない生き方であることは良く理解している。しかしながら、わずかではあってもその考え方に賛同される方がいらしたならば、それを伝えることが恩返しになると考える。ご存命中、冗談かどうかは知らないけれど、笑いながら良く口にされていた「Could be worth !!」が聞こえてくる。 ご本人の口からは一切語られることはなかったが、もしもノーベル賞を受賞されていたならば、世界の歯科界にどれほど大きな影響を与えたかは計り知れない。理由もなく、2014年が最後のチャンスであるような予感を持っていたが、それが現実となってしまい極めて残念に思う。 2015年1月15日(木)、イェーテボリ市にある小さなÖrgryte gamla kyrka(図9)において、親族ならびにごくわずかな知人のみによる葬儀が、教授の教え子の一人であるマルメ大学医学部整形外科学Göran Lundborg名誉教授のトランペット吹奏の下に厳かに営まれた。3年程前、ご夫婦の間で「もしもの場合には、墓地に埋葬するのではなく、海に散骨する」との約束がされていたそうで、3月の天気の良い日を選び、イェーテボリ港沖の海に散骨される予定と聞いた。お参りのできる墓地がないことは寂しいが、教授の性格を考えると理解できる。 約20年前、両親が相次いで逝去した折にも、静かに聴いていたAlbinoniのアダージョに耳を傾けながら。2015年1月25日 小宮山彌太郎図8 わが国における第1号患者の手術後の記録(1983年6月7日)Brånemark教授自筆。図9 Brånemark教授の葬儀が執り行われたÖrgryte gamla kyrka。http://www.omnibuss.se/forum/index.php?topic=1219.2055より掲載11─Vol.22,No.2,20151671929スウェーデンにて生誕1956医師になる解剖学教授に就任ヒトに対しての初のインプラント治療の臨床応用19591963オッセオインテグレーテッド・インプラントの臨床応用10年経過報告の論文を出版Almqvist Wiksell社から単行書籍として出版来日し、東京で8名の患者にインプラントの埋入手術を実施微小循環に関しての論文で学位を得る1965197719781983
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