hsalpsnU no mortsoM nylevE yb otohP56QDT Vol.48/2023 October page 1314私の分岐点:この症例はじめに第6回(最終回) 初めてトップダウントリートメントに取り組んだ症例─歯科医師人生に訪れた転機を症例とともに振り返る─北川雄治Yuji Kitagawa歯科医師・サン歯科クリニック 奈良県香芝市瓦口2288 セイワビル1Fリレー連載 筆者は1993年に朝日大学歯学部を卒業後、愛知県は名古屋市内の百貨店内にある大型診療所に勤務した。なぜ、そこの診療所に就職したのかといえば、当時交際していた女性がその近くで働いていたからだ。今から思うと恥ずかしい就職先の選択基準であったが、その歯科診療所は当時、朝日大学歯学部矯正科教授のご親族が経営されており、口腔外科医や歯周病専門医(後に朝日大学歯周病科教授になる)の先生方が在籍され、専門性に非常に優れた歯科医院であった。当時、その歯科医院に勤務されていた非常勤の口腔外科医は中部労災病院にてサイナスリフトの移植材として腸骨や骨髄移植を用いたインプラント埋入をされたり、歯周病専門医は当時非加熱製剤であったエムドゲイン(ストローマン・ジャパン,ヨシダ)を用いた歯周再生療法をされていたりと、新米歯科医師だった筆者には刺激的な環境であった。 そこに何となく5年間勤務した後、筆者の出身地である奈良県で開業と同時に結婚し、長男をもうけ順風満帆であるように思えた。しかし、生後間もなく長男に重篤な病気が見つかり、入院先から通勤するような日々が続いた。そしてあっという間に8年が経ち、長男には障害が残った。筆者は歯科医師であり、病気で闘う長男に対し無力さを感じる日々であった。歯科医師として、この8年は何も勉強もせず、筆者自身が行私の分岐点:この症例
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