QDT 2024年1月号
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新春特別企画 東西気鋭対談:補綴・修復治療の進化と夢(前編)●天然歯と見紛うプロビジョナルレストレーションに魅せられて(Dr. 内山)内山:その後、それではさすがにダメだということになり、そういった仕事や遊びはやめて大学5年生のときに米国に見学に行くことにしました。さまざまな伝手を頼ってボストンに行きまして、ボストン大学、タフツ大学、ハーバード大学を見たのですが、もちろん日本のような保険診療はありませんし、1人の歯科医師が1日3名ほどしか診察しない様子を見て、学生ながらに漠然と「日本のスタイルには合わないな」と思ったものでした。 そんな感想をもって帰国した後、「では、日本の中で最高の歯科医師・歯科医院はどのようなものか?」と思い立ち、インターネットで「日本一」と検索したり、その伯父に聞いてみたりしたところ、「山﨑長郎」というお名前が出てきたのです。言わずと知れた、原宿デンタルオフィス院長、日本臨床歯科学会(SJCD)の19QDT Vol.49/2024 January page 0019●歯科医師の伯父を意識しつつも、違う職種への興味もあった高校生時代(Dr. 内山)編集部:『QDT』の2024年の冒頭を飾る企画として、編集部としましては読者の皆様に希望をもっていただけるような、華やかな企画を立てたいと思ってまいりました。こうした中、若手臨床家にとってどのような内容が響くのかと考えましたときに、やはり同じ40歳台程度の歯科医師の中で特に活躍している先生の姿をお見せすることが早道と考えました。そこで、キャリアの初期に『QDT』で初の歯科メディアへのご登場をいただき、その後、講演や執筆、さらにはSNSやWebinarなどでも知名度を急激に上げておられる内山先生と岩田先生をお招きし、これまでの修行時代について、また現在取り組まれている症例、そして同世代や後進に向けたメッセージなどもいただくことといたしました。そこでさっそくですが、内山先生から歯科医師という職業を選ばれたきっかけ、そのあたりからご発言をお願いいたします。内山:東京都港区で開業しております内山と申します。私が歯科医師になろうと思ったきっかけは、伯父が歯科医師だったことですね。伯父は神奈川県の横浜市で開業していたのですが、高校生時代に1回見学に出かけたところ興味が湧き、それが歯科医師を意識した最初だったと思います。 私はもともと、情報をトレードするような……たとえばある分野のビジネスの最新情報を企業から集めて、それを統合・要約して別なところに提供するような仕事に興味がありました。私が通っていた高校には中国からの留学生が多く、しかも彼らは国の中でもエリートで頭の良い生徒たち─高校1年のときから東京大学の合格判定がA判定になるような─だったのですが、私は彼らと親しくしていて、世界に飛び出していろいろな国でそういう仕事をしてみたいね、と話していたのです。しかし、彼らもいずれは中国に帰っ1.気鋭2氏にきく、歯科医師への道程と修行時代てしまうかもしれませんし、私は私で一度歯科大学を受験してからその先を考えてみようと思いました。 ところが、高校3年の11月の時点で、私はまったく受験勉強というものをしていませんでした。そこで、その東京大学A判定の中国人の友達に「参考書、何をやればいい?」と尋ねたところ、“赤本”(その大学の過去問題集)と各科1冊の薄い問題集を指定され、これをやりなさいと言われました。当時……今もそうかもしれませんが、教科は英語と数学と理科(生物)だけで、「赤本とこの問題集を解いたら多分受かるよ」と言われたのでそのとおりにしたのです。そうしましたら、11月に勉強を始めたのに2月に現役で受かってしまって(笑)。 ただ、歯科大学には入ったものの、バーの店長をしていて、それが午前3時までという時期もあり、学校は「寝るところ」になってしまっていました。

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