2009年6月10日(水) 第162号2News今月のニュース今月のニュースカルロス教授 4月23日(木)、歯科医師会館において、日本歯科医師会(以下、日歯、大久保満男会長)による定例記者会見が開催された。 冒頭の挨拶のなかで大久保会長は、国民の歯科医療の確立という観点から、今回の私立歯科大学の志願者激減について言及。「(学生が)歯科医師は魅力のない職業という判断をしたと考えるならば、歯科界全体にとって危機的な事態だ」と危機感を募らせた。また、「結果的に約2割削減となったが、日歯と大学側の話し合いの結果ではなく、けっして望んでいたことではない」と述べた。志願者がいないという根本的な問題から、「国民に対して歯科医療の大切さをアピールする必要性や社会的に信頼される歯科医師の育成などが結果的には志願者の増加につながる」と主張し、「お互いが危機感を共有し、連携して歯科医療の大切さをアピールしていかなければ、この厳しい状況は乗り越えられない」と述べた。 歯科医師の需給問題は、以前から議論されていたが、定員削減となれば大学側も経営的な問題があるため、根本的な解決には至っていない。口腔と全身の健康との関係が明らかにされつつある昨今、魅力ある歯科医療をいかにしてアピールするかが課題であろう。日歯、定例会見を開催大久保会長、私立歯科大学の志願者激減に言及第3回「よい歯と食育大賞」中山秀征さん、浅尾美和さんが受賞 4月19日(日)、ANAインターコンチネンタルホテル東京において、第3回「よい歯と食育大賞」授賞式(特定非営利活動法人日本食育推進機構主催、江藤一洋理事長)が開催され、中山秀征さん(タレント)、浅尾美和さん(プロビーチバレーボール選手)がそれぞれ受賞した。 本大賞は、2006年8月に発足した「よい歯と食育推進委員会」の活動を広く国民に啓蒙することを目的とし、2007年より授賞式を開催している。なお、同委員会は2008年4月に特定非営利活動法人として組織変更された。 会場では江藤一洋理事長の挨拶にひきつづき、岸 朝子氏(食生活ジャーナリスト、日本歯科食育推進機構特別審査委員代表食生活特別アドバイザー)、橋本聖子氏(参議院議員、自民党食育調査会副会長、外務副大臣)がそれぞれ登壇。岸氏は、日本の伝統的な食べ方である「ご飯を一口食べ、おかずを一口食べ、味噌汁を一口飲む」ことを繰り返す「口中調味」が失われつつあるとし、食育のなかで「よく噛んで、味わって、飲みこむことが大切」と述べた。橋本氏は元スポーツ選手時代を回顧し、歯の大切さを強調した。また、自民党食育調査会副会長として「今回のような機会を通じて食育と歯の健康を広めてほしい」と今後の活動にエールを送った。 授賞式後にはトークショーが行われ、中山さんは4児の父として「子どもができたことで、食や歯に関して真剣に考えるようになった」と家族で食卓を囲む重要性や自然のなかでの食とのふれあいなど、自身の食育への取り組みを語った。浅尾さんは、「プロアスリートとして、食事や歯には気を付けているし、歯科医院で定期的にブラッシング指導を受けている」と述べ、「人よりも日焼けしていることで歯が目立っている」と笑顔を見せた。左より、江藤理事長、岸氏、中山さん、浅尾さん、橋本氏。歯科医師は魅力のない職業?……絵 山香和信レーザーの黎明期を支えてきた森岡俊夫九州大学名誉教授「ブラジルでまいたレーザーという種が成長したことは私の最高の喜び」 現在、日本の臨床歯科医の約25%がレーザーを使用しているといわれている。そのレーザーの黎明期を支えてきた歯科医師がいる。日本レーザー歯学会を牽引したひとりであり、初代理事長である森岡俊夫氏だ。氏は日本のみならず諸外国のレーザーの発展にも貢献し、その功績から現在ではサンパウロ大学(ブラジル)に、氏の名前を冠した研究室が設置されている(写真)。レーザーと歩みつづけて30年になるという森岡氏の研究者としての思いをうかがう。森岡:私が開発した最初のレーザー発振機は、各部品を寄せ集めた手造りのCO2レーザーであり、2号機は工業用の大型YAGレーザーでした。当時、まだ光ファイバーがなかったため、当然医療用と名のつくレーザーはありませんでした。 レーザーという新領域の研究を始めるには、同学同好の士の結集が必要と考えましたので、5大学に声をかけ、文部省の科学研究費総合研究Aを申請しました。さいわい、4年間にわたる共同研究が認められ、その後徐々にレーザーが歯学界に普及し研究も盛んになったことから、1989年12月に大阪でレーザー歯学研究会、1991年11月に福岡で日本レーザー歯学会が設立されました。 私が研究に携わった「レーザーによる初期う蝕の進行阻止療法」は、1990年に高度先進医療として厚生省から承認されました。その後、鎮痛、創傷治癒促進、歯肉メラニン除去、白板症の処置などにレーザーを用い、その結果を国内外の学会で発表しました。1985年にはわが国初の国際レーザー歯学シンポジウムが福岡で開催され、予想を超える多くの参加者があったことはいまだに忘れられません。 諸外国でのレーザー学会にも数多く出席しましたが、とりわけサンパウロ大学には3度訪れました。1980年の時点では現地にレーザーの研究者はいませんでしたが、2日間にわたる私の講演が動機付けになったのか、1988年の2度目の訪伯時には10余名がこの研究に携わっていました。また、3度目となる2000年には学会まで発足していたことには、たいへん驚かされました。さらに、世界に類を見ない「Special Laboratory of Lasers in Dentistry」が同大学に新設され、その開所式の招待状には同大学レーザー研究所の所長であるカルロス教授から「あなたは私の永遠の師であり、あなたの名前を研究室につけた」と書かれていました。 レーザーの普及と発展を願い、その研究に携わった者として、日本の裏側に位置するブラジルでまいたレーザーという種がこのように立派に成長したことは最高の喜びです。 最後に、学術的裏付けよりも臨床応用が先行してきたレーザーですが、現在では科学的根拠も解明されつつあります。今後もさらなるレーザー歯科医療の普及と発展に、微力ではありますが、貢献できればと思っています。プロフィール1968年、大阪大学歯学部助教授。1970年、九州大学歯学部教授。1973年、九州大学歯学部付属病院長。1980年、ブラジル・サンパウロ大学より招聘され講演。1991年、日本レーザー歯学会初代理事長。1992年、九州大学名誉教授。1994年、紫綬褒章。1996年、勲二等瑞宝章。2007年、PFA日本部会会長。
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